船宿と船長の紹介

船宿の紹介


浜福丸は先代の鈴木進太郎が始めて40数年、乗合船も1967年頃から始めました。最初は漁船で横須賀ベースのアメリカのお客さんを乗せてシイラなどの引き釣りをやっていたそうです。私も小さい頃お客さんにチョコレートを一杯まぶしてあるチョコレートケーキやオロナイン軟膏のような薬を貰った覚えがあります。いまでこそチョコレートケーキはめずらしくありませんが当時は大変貴重で小学生の私はむさぼり喰ったような記憶があります。


1965−6年頃に3トンくらいの木船を作り、アジやカワハギなどの仕立て船から始めていきました。ほどなくしてサンケイスポーツ新聞社の推薦を受け乗合船を始めたわけです。釣りものはアジやイカ、カワハギなどでした。私が高校を卒業した時に初めてのプラスティック船(5トン)を作り親子で2隻で始めました。当時の船の装備は魚探とトランシーバーとコンパスだけでした。4気筒ディ−ゼルエンジンは音と振動ばかりで船は先に進みませんでした。1973年(昭和48年)2月頃に三浦市の遊漁船では初めて高速ディーゼルエンジンを積みました。当時16、7ノットで走るとそばを通る内航船が止まっているように感じました。当時はまだアジ、サバ(カラバリ)が中心で城ヶ島沖などは船もまばらでした。今と比べるとまるっきり船はいませんでした。だんだん釣りブームになりお客さんも増えてきました。当時は船も安かったので新造船も何隻か立て続けにできました。その頃が華だったかな?



38号船  17トン

三菱製800馬力のエンジンを搭載。最大馬力の半分400馬力で21.5ノットを出す高速船。電動リール用電源、手洗い散水、エアコン、保温ポット、電子レンジなどを装備。











浜福丸の船名の由来は・・・・・私の祖父福次郎の名前です。毘沙門は坂道を隔てて下を”浜”上を”陸(おか)”と呼んでいました。そこで浜の福次郎さんは浜福さんと呼ばれていたそうです。福次郎さんは城ヶ島の出身で海に惚れて毘沙門に婿に来たとか。そのくらいですから素潜りの名人で人の潜らない深いところを潜りました。裸一貫で相当稼いだそうです。



船長の紹介

鈴木 喜一(店主 38号船船長) 昭和27年生 乙女座  血液型O型 趣味 ギターをつま弾くこと パソコン その他etc.